岡山県赤磐市に鎮座します。
熊山神社
熊山の山頂に祀る。中世には「帝釈山霊山寺」の山上伽藍が威容を誇っていたが、明治初期神仏分離の宗教改革により開扉した。本殿は切妻平入り神明造りの建設である。祭神は大国主命。
https://www.city.akaiwa.lg.jp/kankou/spot/shiseki/883.html
因幡の白兎、古事記では国譲りでお馴染み。
イケでプレイボーイ、男も女も落とす魅力的な神様、縁結びが得意と伺っております。
大国主と言えば出雲大社が有名ですが、まだ行ったことないです。
いつか行きたい。
さて、熊山神社への道は登山道の近くから始まります。
井戸がありました。
ほおお、雄竜と雌竜となっ。
リオレウス&リオレイアみたいなイメージがよぎりますが関係ないのでかき消します。
この井戸、使われているのかは不明。
紙垂(しで)がかかっており神聖な物のようです。
張り紙には、
はい。大切にします。
飲んでみたいですが触れられない感じ。実際に使われているのでしょうか。
周りに登山者の方が見えなかったので不明です。
水の湧くところには龍神様が多いですね。
井戸付近にベンチあり。
この近くに駐車場はあるのですが、麓から徒歩で来られた方はここで少し休めますね。嬉しい計らいです。
ほどなく進むと、鳥居まで着きました。
立派です。来た甲斐あるわあ。
鳥居を一歩跨ぐとブワっと雰囲気が変わる、これが好きで神社はやめられません。
6月の清々しい木の香りに包まれながら進みます。
手水場は水が流れていませんでした。
最近どこもこんな感じですので、持参のペットボトルがある時はそのお水でお清めします。
狛犬さん「阿(あ)」
狛犬さん「吽(うん)」
可愛いですわあ。
狛犬さんチェックは神社の楽しみの一つでもあります。
摂社・末社には、
稲荷神・・・出ました、どこでも稲荷。
天照大神・・・大国主に「国譲って」と言った天つ神(あまつかみ)、スサノオのお姉さん。
素戔嗚命・・・オオクニヌシのお義父さん、八岐大蛇(やまたのおろち)退治で有名。
菅原道真公・・・平安時代に学問をもって朝廷に仕え、官位従二位・右大臣にまでなった偉人。受験生に人気の神様。
大山祇命(おおやまつみのみこと)・・・イザナギとイザナミが産んだ山の神。アマテラスの孫・ニニギノミコトと結婚したコノハナサクヤヒメ(富士山と言えばこの方)の父。
水速女命(みずはやめのみこと)・・・イザナミがヒノカグツチを産んでやけどして伏せていた時の尿から誕生。灌漑用水・井戸の神・水の神。
級長津彦命(しなつひこのみこと)、級長都姫命(しなつひめのみこと)・・・イザナギとイザナミの神産みで産まれた風の神の二柱。
大山咋命(おおやまくいのみこと)・・・大山に杭を打つ神、すなわち大きな山の所有者の神を意味し、山の地主神であり、また、農耕(治水)を司る神。
だいぶ集めましたね・・・簡単に紹介するつもりが・・・
摂社・末社に気を取られすぎて肝心の本殿は写真を取り忘れてしまいました。
えええぇ!?
本殿横には木製の牛馬がいます。ちゃっかり写真。
日本神話によると大国主が牛馬を人間に与えて牧畜の業を興したそうです。
その偉業をたたえるために、 大国主を祀る神社に牛馬や銅像などを捧げるケースがあるんだとか。
また、御神馬(ごしんめ)は神様の乗り物、牛は菅原道真公を祀る天満宮系では神様のお使いとされています。
銅像は大きな神社でたまに目にしますが木製の牛馬は初めて見ました。
熊山天然杉
熊山神社から熊山遺跡に向かう途中に熊山天然杉があります。
並び立つ杉二本にはとても大切に守られてきた長い年月を感じます。
猿田彦神社
天然杉からしばらく進むと猿田彦神社です。
道開きの神。
この辺りには山岳信仰もあったのでしょうか。
山奥に行けば猿田彦。
こじんまりとしていますが、風の良く通る場所にあり、ヒラヒラそよぐ紙垂に誘われてフラァーっと寄ってしまうでしょう。
椅子もあるし。
猿田彦神社の周りは開けており清々しいです。
山の中ながらもよく整備されており、ここまで来ると熊山遺跡目当ての人々もちらほら。
近くに大国主のお神輿ステーションもありました。
お祭りの頃はさぞ賑やかでしょうね。
熊山遺跡に向かう途中に五輪塔も発見。
五輪塔は、主に供養塔やお墓として使われる塔の一種です。
密教の教理にもとづいて作られた形で、上から、空・風・火・水・地という五大と呼ばれる宇宙を構成する5つの元素を表現しています。
五大で形作られた五輪塔で供養することにより、故人は宇宙(五大)に還元され、極楽浄土に往生するのだそう。
作られた年代、どなた様のものなのかは不明でした。
いきなり現れるお墓・・・立札一つあるのとないのとで感じ方が違ってくるので、こういうのを作ってくださっている教育委員会には感謝です。
熊山遺跡
遺跡に近づいてまいりました。
鐘楼跡ということは鐘があったのですね。なぜ今ないのか。
書いてあるといいのですが・・・
書いてない・・・
説明書きにある「龕(がん)」とは、仏像などをおさめるずし(厨子)、仏壇、また、寺の塔、塔の下の部屋を意味します。ここでは、仏像を収める部屋(穴)を指すようです。
あれ、6月だというのにモミジが若干紅葉してますね。
2023年の天候は本当に不安定だったなと今にして思います。
そして説明こんだけ!?謎多き遺跡。
事前にネットでも調べましたがはっきりした情報は何一つ得られませんでした。
積んだねえ。。。
鎖の中には入れません。外から見るだけ。周囲をくるっと回ることはできます。
パワースポットと言われているようですが特にパワーは感じないのでした。
ただ、凄いものがあるぞー珍しいぞーという気持ち。
むしろこのブログを書くために情報を調べている時の方がビリビリ何か感じます。
さて、話は戻って、
日本に数例と言われるピラミッド型の遺跡のうち、こちらの熊山遺跡は仏塔であるとする説が有力なようですが、それすらも明確ではありません。
鑑真和上(奈良時代に唐から日本に渡り帰化した僧)が熊山を仏教修行にふさわしい霊山と認めたとする説あり。
熊山の樒(シキミ)の良い香りを辿って、大滝山から熊山へと鑑真和上が登山され、大滝山福生寺と帝釈山霊仙寺を建立し、頂上に石積戒壇を設けられた、との地元香登(かがと)の伝承あり。
また、大本教の出口王仁三郎がこの遺跡を“スサノオの御陵墓”とみなし、この遺跡には八岐大蛇を斬った十拳(とつか)の剣(つるぎ)も納められているとした説あり。
あり、あり、あり・・・諸説あり!
学者が調べてもわからないところにロマンがありますわ。
そして、よくこれだけ積んだよねえ。。。
ちなみにこの近くの岡山白陵中学の春の遠足は熊山遺跡だそうです。羨ましい。
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